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最高裁判所第一小法廷 昭和63年(行ツ)188号 判決

新潟県長岡市今朝白二丁目五番一号

上告人

東亜木材株式会社

右代表者代表取締役

小島義雄

右訴訟代理人弁護士

塩津務

新潟県長岡市南町三丁目九番一号

被上告人

長岡税務署長

木村稔

右指定代理人

植田和男

右当事者間の東京高等裁判所昭和六二年(行コ)第六八号法人税更正処分取消等請求事件について、同裁判所が昭和六三年九月二八日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人塩津務の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。国税通則法七〇条二項の規定及び同法二三条一項の更正請求の期間制限の定めが憲法一一条、二九条に違反するものでないことは、当裁判所昭和二八年(オ)第六一六号同三〇年三月二三日大法廷判決(民集九巻三号三三六頁)の趣旨に徴して明らかである。その余の違憲の主張はその実質において単なる法令違背の主張にすぎないところ、原判決に法令違背がないことは、右に述べたとおりである。論旨は、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 四ッ谷巖 裁判官 大堀誠一)

(昭和六三年(行ツ)第一八八号 上告人 東亜木材株式会社)

上告代理人塩津務の上告理由

第一 原判決は国税通則法第七〇条二項の解釈を誤つた違法がある。

一 本件の争点

上告人の本訴請求は、昭和四九年七月期、同五〇年七月期の欠損金を無視した昭和五六年七月七日の昭和五四年七月期の本件更正は違法で取消されねばならないことにある。しかるに、原判決は被上告人の主張のとおり昭和五六年七月七日においては昭和四九年七月期、同五〇年七月期は国税通則法第七〇条二項の五年を経過しているので、減額更正処分を行うことはできないということにある。

二 法解釈

(一) 除斥期間の停止

しかし、本件のような場合、昭和五六年七月七日には右五年間は未だ経過していないと解すべきである。けだし、国税通則法第七〇条二項は、法的安定性を保つため、五年の除斥期間を設けたものであるとしても、納税者側において、その期間に減額すべき要請があれば、要請等の期間中は一時停止すべき、換言すれば、右五年の期間に全くなんらの減額要請等争いの要素がない場合のみ適用すべきであり、本件のごとき当初から一連の不可分の事案として上告人・被上告人共に取り扱い臨んでき、さらに更正(職権の発動)を要請している状況にあつては、更正の時点で五年以上経過していても五三年当時五年以内であるので、納税者のために更正されるべき筋合である(京都地裁昭和五一年九月一〇日判決は同様の考え方である。除斥期間の停止問題について我妻栄著(岩波書店)民法総則三四一頁期間の満了の当時に天災その他避けることのできない事情があるときは民法第一六一条を類推適用すべきであろう。なぜなら、かような場合にも猶予期間を認めないことは権利者に酷であり、これを認めてもその猶予期間は限られていて権利関係を早く確定しようとする除斥期間の趣旨を紊すことにならないからである)。

(二) 被上告人の過失による期間徒過

さらに、本件は、被上告人の過失による除斥期間の徒過が二度に渉りあるのである。すなわち、上告人が被上告人に対し更正の要請をなした昭和五三年の翌年末頃には、昭和四九年、同五〇年の両期の損失額の実態解明はできていたことであるのであるから直ちに更正をすれば右期間の制限に抵触しないし、また、昭和五五年九月二〇日の報告後直ちに更正すれば少なくとも昭和五〇年分は抵触しなかつたのである。しかるに、更正が行政庁の都合により昭和五六年に遅れたため、不相当な結果(更正が遅れることによつて納税者に不利益を課する結果)になつているのである。被上告人も当初前五期間全体を更正し、その各年度の損失を昭和五四年度の所得計算上損失とし、正常な課税をする予定であつたところ、更正の段階になり右二年分が五年以上経過してしまつたことに気がついたというのが実情である。

(三) 納税者の救済方法としての減額更正と法人税法自律(実体法としての)の法理

ところで、現行租税法は自主申告制度を取り入れ、納税者の申告を尊重し、万一、誤りがあれば更正等の行政処分によつてその是正がなされる法制度となつている。しかし、納税者自身その誤りを発見した場合、減額更正の請求ができるのは、申告期限後一年以内となつており、それ以上の期間経過した場合には納税者側からその是正を行政庁に権利として請求する方法がない。したがつて、青色申告制度が五年以内の繰越欠損金額の損金算入(法人税法第五七条)を認めてはいるが、納税者自身その誤りを発見しても行政庁自身が腰をあげて職権で減額更正しなければ、青色申告の繰越欠損金の損金算入は不能となり青色申告制度は勿論、法人税法の本来的な課税所得の計算構造自体否定する結果となるのである。であるから、法人税法の青色申告繰越欠損金額の損金算入は、当該損金算入年度分の更正自体が国税通則法第七〇条二項に抵触しないかぎり前五年間分はその更正と一体となつて更正できることが当然の前提になつていると解して始めて法人税法に規定する青色申告の繰越欠損金損金算入制度の意義があるのである。

(四) 除斥期間の解釈

1 ところで、国税通則法第七〇条二項に規定する減額更正の期間制限を五年とした理由として、税務官庁の資料の保存期間が五年であるところから、それ以前について更正する場合にはその資料を有する納税者に限られることとなり、資料を有しない者との間に不公平を生ずるので、統一的な行政執行を期する必要から時効的な期間を定めて法の安定を図つたものという見解がある。

2 しかしながら、これは税務官庁側の便宜のための説であつて、具体的な場合には極めて不条理で過酷な結果となることが多い。また、証拠を有するものが有利となることは民事、刑事の場合当然のことで、行政の場合とて同じことであり、過酷、不条理にわたる場合は解釈によつてその修正がおこなわれるべきである。

3 すなわち、全て更正の時点から起算するとすれば、遅く調査に着手し、更正処分までの調査期間をことさら長くして、そのため減額更正の期間を次々と徒過し、これによつて法人税法が実体的に予定している課税額を形式的な通則法によつて不当に過大にさせて納税者に不利益を強いることは法の正義に著しく反するものである。公正と衝平の観点から調査に着手した時期を起点として前五年間の欠損金の減額更正を認めることが妥当な考え方である。

4 そして、調査の着手時期は民主主義的申告納税制度の下においては、納税者が具体的に調査を開始したその時が本質的には調査に着手したときと言える。しかし、納税者のみの行為だけでは調査の着手時期が客観的にみて明らかでないとすれば、原処分庁に納税者の意思を明らかにし、かつ具体的に調査活動が開始された時点、あるいは原処分庁の了解、または要請に基づいてそのような調査活動が行なわれたときと解すべきで原処分庁が独自に調査を開始したときと解すべきではない。

三 結び

本件は、少なくとも昭和五三年八月一日以後、一貫して調査に従事し、また、被上告人の要請もあつて自らの手で解明に努め、更に、被上告人の調査にも積極的に協力してきたものである。したがつて、当期の申告以後は、上告人と被上告人の協同調査が存在していたとみることが税法の正当な解釈であると考えられる。したがつて、右調査の着手である昭和五三年を基準にとれば、右期間の制限に抵触しないし、また、昭和五五年の報告(調査)であればすくなくとも昭和五〇年分は抵触しないのである。さらに本件は被上告人の過失による除斥期間の徒過を忘れてはならないのである。これによつて納税者の不利益になることは断じて許されない。

以上の次第で原判決には法解釈を誤つた違法がある。

第二 原判決が被上告人の減額更正義務を否定したのは憲法の解釈を誤つたものであり、また、重大な事実誤認があり違法である。

一 減額更正義務と更正権の行使

(一) 上告人は昭和五四年暮頃には昭和四九年七月期及び同五〇年七月期における欠損金額及びその実態を究明しえたので被上告人に対しその旨を報告した。したがつて、被上告人としては昭和五四年暮以降、昭和四九年七月期及び昭和五〇年七月期について、何時にても減額更正をなしうる状態にあつたのである。また、少なくとも昭和五五年九月二〇日には昭和五〇年七月期の減額更正が可能な状態にあつたのである。しかるに、被上告人はこの減額更正をなすべき義務を怠つたのであるから本件更正は違法である。

(二) しかるに、原判決はその理由一の4において、「上告人の過年度についての経理の調査は専門家の税理士が調査に当たつても膨大な書類のため容易に結論が出ない状態にあつたところ、昭和五四年暮には上告人は被上告人に対し概略の数字を口頭で報告したにすぎず、昭和五五年九月二〇日には具体的な数字を示し、細かい説明をしたとはいえ、この時には昭和五〇年七月期について減額更正をなしうる期限は僅か一〇日しか残されていなかつたのであるからその期限内に自ら調査をしたうえ右事業年度について減額更正をすべき義務が被上告人に発生したとは到底解する事ができない。」と判断して右上告人の主張を排斥した。

(三) しかし、当初年度としての昭和四九年七月期および同五〇年七月期はきわめて内容的に簡単なもので、だからこそ昭和五四年暮れには判明していたのである。このような事案では、過年度の計算の影響が次々に重なつて及んでくる後年度ほど複雑で困難になるものであつて、昭和五一年以降が調査に手間どつたのである。昭和五四年暮れに昭和四九年七月期、同五〇年七月期を被上告人に資料持参のうえ説明しようとしたところ、被上告人は五年間を一連のものとして順次更正しなければ、昭和五四年度分の更正はできず、そのことのみを考えていて繰越欠損金の損金算入の時期の件についてまでは思慮が及ばず、そのためにこれを遮り全部終わつてから説明を受けると言われたのである。

(四) また、原判決がわずか一〇日しか残されていなかつたのであるからその期限内に調査困難であるとするのは右一〇日のみしか念頭にない錯覚した先入観である。けだし、右両年度の調査内容は別紙のとおり簡単であるので専門家であれば一日でその調査確認が可能であるからである。

(五) 反面において行政庁の実務執行では、除斥期間切れの日時が迫つている場合の増額更正についてはその時点迄に個々具体的に明確となつている課税洩れ分は勿論であるが、理論的に充分に課税要件が充たされていると認められる部分も含めて更正をし、荀も日時を徒過して、その期の更正権を失い、国の損失となるようなことは厳に避けているのである。

二 民主主義的行政の執行と納税者の権利の尊重

(一) 明らかに実体的に納税義務のない欠損金部分について敢えて課税することは、本来的には憲法違反であるから、そのような欠損金に対し課税すること自体違法そのものである。したがつて、形式的な通則法については可能な限りその解釈運用の中で実体法の期待する金額に近づくように適用することに努め、違憲違法状態を避けることは行政庁の義務でもある。

すなわち、憲法は国民の義務として納税の義務を規定しているが、それは正しい課税実体を充たすことに対する納税義務を規定しているものであつて、実体的に納税の義務のない場合には国はこれを最大限に是正し、実体的な納税義務内容に近ずける義務があるというべきである。そうでない今回のような行政庁の不作為を是認する原判決は民主憲法下で行政庁の当然というべき義務を否定する税法の権威化というべきで、到底納得できないところである。

(二) 税法の解釈適用は権威的であつてはならず、徴税者たる国家と納税者たる国民との税法上の関係は租税債権者と租税債務者の対等関係にあり、その間は当然信義誠実則、公平則さらには同時履行の抗弁もが働く。また、民主憲法の建前から税法の適用執行面においては法の範囲で国は納税者たる国民の権利を最大限に尊重する義務があることは申すまでもないことである。

(三) 本件の経過と実状からすれば、国税通則法の行政庁の減額更正の除斥期間は当然四九年、五〇年分の二年間について停止したとしても、既に明白となつていたその欠損金を更正しておいて五四年分の更正された所得から差引くことが現憲法下の国税通則法の正当なる解釈と運用である。納税者は五年分の正当な計算を明らかにする努力をしても、自ら減額更正請求ができず、唯々行政庁の更正減を待つのみの法構成となつており、このような場合には特に行政庁の納税者の権利を尊重する法の運用が義務付けられているというべきである。特に五〇年度分については除斥期間満了前に減額更正処分をするに充分な資料が提出されており、その措置は一挙手一投足の労で即時可能な状態にある。しかもその期間内に被上告人は何ら上告人を調査したり接触したりしていないのである。その結果として納税者に実体的に義務のない納税を強制することになるということは現行憲法下の税法の解釈適用としてはあり得ないことで明白に違法である。

(四) 明治憲法下及び国税通則法制定前の税務行政の慣行について

現行の国税通則法上の五年の除斥期間にあたる事項については、当時は会計法の五年の除斥期間の運用で処理されてきた。この場合、除斥期間内に課税標準額などについて争いや疑問事項があり、或は既に決定済の事項であつても明らかに誤りであつてそのままの状態にしておくことは租税正義に反すると判断されるときは、潔よく自らの誤りを認める形で五年の除斥期間に拘らず行政庁側で職権による誤謬訂正手続(減額更正にあたる)をとつてきたことは一貫した税務行政のよき慣行であつた。現行の国税通則法はナチス獨逸の国税通則法を参考にして作られ、ナチス税法の権威者インノー・ベーカー博士の説を取り入れたもので法形式を整備することを名目としてこのようなよき慣行の道をも鎖そうとするものであるとして、また現行憲法の精神に馴染まない法律として当初から非難されてきたのである。しかしながら、従来よりも納税者に格別不利に改正したのではなく、法形式の整備上現行法のようにしたに過ぎないので最も非難の多いこの除斥期間の問題は具体的事案に当たつては従来の精神も生かし、仮言すれば除斥期間の停止や時効の中断などの法理や民主主義憲法下の税法を解釈適用するに当たつての行政庁と納税者との間の権利義務関係の基本法理などを援用して厳格の中で弾力的に運用すれば現行憲法に馴染ませて行くこともできるであろうと言われてきた。京都地裁の判決の中にはこのような考え方が濃厚に含まれており、正しい判断と考える(前掲昭和五一年九月一〇日の判決要旨)。

三 結び

したがつて、現判決が右の如く判断したのは重大なる事実誤認か然らざれば憲法の解釈運用を誤つた違法であるものというべく到底破毀は免れない。

民主主義憲法(主権在民)のもとでは国(行政庁)はその法律に定められた国(行政庁)の利益や権利を守る(この場合除斥期間内に増額更正をすること)と同じ程度またはそれ以上に少なくとも同じ程度に国民の納税者としてのその法律に定められた利益や権利を尊重する(この場合本来ならば減額更正の請求期間を増額更正の期間に合わせるべきであるが、それができ難いとすれば増額更正が減額更正と一体となつて生ずる本件の如き場合は除斥期間を停止して増額更正と減額更正を一連のものとして行い減額更正されるべき額についてまで不当に納税させないこと)義務があると言わねばない。

法人税法上の前五期間の繰越欠損金の損金算入規定は法人税法そのものの構造上本質的に内在するものとして定められ理解されているもので、青色申告の特典、すなわち国(行政庁)から与えられた恩恵であつて国(行政庁)の税務行政執行の都合で無視することができるという性質のものではない。ただ青色申告者でないと計算が明らかにならないことがあつてその欠損金額が定まらないことを慮つたものにすぎない。

以上の理由からこの繰越欠損を減額更正せず、国(行政庁)が不当の税収を果たすことは憲法第一一条の基本的人権、同第二九条の財産権を侵すものでかかることを可能にさせている国税通則法第七〇条(国税の更正決定等の期間制限)及び第二三条(更正の請求)の規定の一部(一方は五年、他方は一年という不平等な規定)は憲法違反である。

仮に憲法違反でないとするならば憲法の基本理念と法人税法の繰越欠損金を損失とする法の精神に立ち返り国(行政庁)側に不当利益が生じないよう通則法の解釈と運用によつてこれが是正を図られるべきである。

第三 原判決は過少申告加算税を正当とする理由が不明である。

一 上告人は現行法上いかなる手段方法によつても昭和四九年七月期及び昭和五〇年七月期における欠損金について自ら修正することはもとより減額更正の請求をすることもできなかつた。しかも、被上告人は上告人の欠損金額を認めながら更正の期間制限を理由に繰越欠損金としては認知しなかつた。したがつて、本件税額の過少申告は納税者の意思と無関係に生じたものである。

二 しかるに、原審は理由六において少なくとも過失があつたと認定しているがその過失の内容は全く不明である。

三 よつて、原判決の右判断は理由不備の違法あるものとして破毀されるべきである。

以上いずれの点からみても原判決は違法であつて破棄されるべきものである。

以上

(A)

49年7月期当初の申告額に対する追加損失金の内訳

(この金額は50年7月期にそのまま繰り越され、51年7月期の減額更正につながる)。

〈省略〉

(A)(B)の両期のものは、この内容に従って確認すれば簡単であるから税務官吏の能力からすれば二日もあれば十分理解できるものである。

外部において特別に確認することを要しなく単に帳簿上の操作をしたにすぎないのである。

(B)

50年7月期当初の申告額に対する追加損失金の内訳

(この金額は49年7月期の追加損失金を受けこの期の分を加えて51年7月期の減額更正につながる。51年7月期の減額更正は、これら両期の損失金をそのまま受けて行われたもので積立金の内訳から見て明瞭である)。

〈省略〉

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